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金崎内科医院

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院内報2020年12月1日号を掲載しました

個人的にはどちらかというと楽観的な話をしている方だと思います。それでもあんまり楽観的に話をして悪い方に外れたらあとで気まずいのでどうしてもはっきりしたことが言えなくなってしまいます。みんなそんな状況ではないでしょうか。

<かぜ情報>

10月は小児を中心に風邪症状で受診される方がやや増えましたが11月以降は減っています。日頃の感染対策のせいなのかウイルス干渉(後述)のせいなのかはわかりません。まだ異様な日常だと実感されます。

<新型コロナウイルスについて>

テレビやネットで新型コロナウイルスの情報に毎日接する生活がもう1年近く続いています。新たな知見や情報もあるはずですが、私達が接する情報は変わっていないように感じます。私自身はウイルスや感染症の専門家ではありませんが、一内科医としてそして個人として得た情報を改めて整理してみたいと思います。

  • コロナウイルスはあまり大きな変異は起こさない;コロナウイルスは変異しやすいRNAウイルスではあるのですがRNAが変化したときの自己修復能が非常に高いため、インフルエンザのような強毒化や弱毒化のような大きな変異は起こりにくいとされています。今の新型ウイルスはもちろん従来のコロナウイルスから大きな変異を起こしていますが、さらに大きな変異は短期間ではおきにくいということです。
  • 新型コロナウイルスに感染してもさらに複数の人に感染させているのは一部の人だけである;5人中4人は感染させないようです。感染させてしまう人のうちでもさらに多くの人に感染させてしまう存在が想定される。20年前のSARSコロナウイルス流行のときも一度に複数の人に感染させてしまう「スーパースプレッター」の存在が明らかにされましたが、やはり同じコロナウイルスですから同様の特徴があるようです。
  • 感染して無症状な場合でも他に感染させてしまうことがある;また、発症してもその数日前から他に感染させることがある。クラスター追跡では発症した人の2日前までの濃厚接触者を追跡しているようです。

以下は私が気づいたことです。

  • 東南アジアから東アジアにかけては欧米に比べると感染者や死者が少ない;感染状況のマップをみると中国に近いアジア諸国、特に日本を含む東アジアが、少ない印象です。同じく国境を接しているロシアやインドは例外ですが、中国との往来の多さとも関係があるのでしょうか。そして韓国の感染者の増減の動きは日本ととてもよく似ている。人口の規模や取り組みの違いのせいか日本よりは規模は小さいですが、時間的にも動きがそっくりです。
  • 気温と新型コロナウイルスの関係は不明;一般的な話としてコロナウイルスは冬に流行しやすいと言われていますが、新型コロナウイルスがより気温の低い高緯度の国や地域で感染がより広がっている状況はみられません。北半球では、特に日本では真夏に第2波がピークとなりました。北海道でも感染が拡大しましたが沖縄でもかなり拡大しました。

わからないこと・・・。

  • 国によって状況は違うでしょうが、なぜアメリカではあそこまで感染が広がっているのか。インドでは徐々に減ってきていますが、アメリカはインドより感染対策が不十分なのでしょうか。一方で中国の現状も不思議です。もともと免疫があるのかと思ってしまいます。
  • ウイルス干渉(同時に複数のウイルスは流行しにくい)はあるのか;実際にインフルエンザウイルスと新型コロナウイルスの同時流行は起きたことはない(同時感染の個別の事例はあるが同時流行ではない)。
  • 感染予防対策のせいか他のウイルスの流行がみられないのになぜ新型コロナウイルスばかり拡大するのか。
    自分なりに感染拡大の数理モデルやコロナウイルスの変異の勉強をしてみましたが完全な理解には程遠いです。
    メディアに出ている「専門家」もいつも同じことしか言っていませんし、しかもあまり内容のないようなことばかりです。本当のウイルスの専門家はいます。その人たちの話をもっとききたいです。上記の情報もそのあたりから漏れ聞いた情報が一部入っています。

<院長の日記>

今回は哲学的なテーマです。ずばり、「幸せ(幸福)」とは何か?誰もが幸せでありたいと思うでしょう。自分にとって大切な人にも幸せになってもらいたいと思うでしょう。でも幸せとは何かと聞かれてもすぐには答えられないのがほとんどではないでしょうか。もちろんそれは人によっても地域によっても時代によっても違うでしょう。ある哲学者は「善(良いこと)」を目指して実践していることが幸せだとしました。日本語の「徳」という言葉にも近いでしょうか。またある哲学者は「正義(正しい)」ことが幸せの究極だとしました。いずれもギリシャ哲学から18世紀ヨーロッパの哲学の潮流を反映しています。一方で信仰こそ幸せともされてきました。ただしこれは哲学ではなく宗教になります。「善」や「正義」は時に厳しさとなり、窮屈に感じてしまうのは私だけてはないでしょう。時代はすすんで「豊か」であることが幸せである、少なくとも幸せの「条件」にはなってきていると考えられます。お金があること、便利であること、などでしょうか。文明の進化のおかげですね。ただし、「豊かさ」はすべての人にいきわたりません。その豊かさによって争いや妬みが生まれてしまうことに人々は気づいています。他にも「楽しいこと」も幸せにつながるかもしれません。親しい人と会話するのも楽しいですし、自分の趣味に没頭すること、あるいは努力によって自分の能力が向上することも楽しいことだと思います。「ワクワクする」という状態です。でもそればかりだと今度は「疲れ」や「虚しさ」を感じてしまう時があります。度を超した享楽になると後でそのように感じることはあるのではないでしょうか。では本当の幸せはいったいどこにあるのでしょうか。私は「平穏」にあるのではないかと最近は思うようになりました。平穏、他に言い換えるなら「平和」でしょうか。しかも心の平和です。自分の内面が穏やかであるということです。もちろん時に楽しいこともあっていいでしょうが、あくまでも平穏の上に成り立つ「楽」でなければと思います。でも「平穏」でいられるのが実は最も難しいかもしれません。平穏の条件の一つは他人や環境に惑わされない状態にあることです。この状態を保つには常に自分で考え、自分を信じることが必要となるでしょう。条件の2つ目は「こだわり」や「欲」からなるべく自由であることでしょうか。でもこのような状況を実現するのもとても難しいことです。実現しているのではなく、その状態を常に意識し目指しているといことでもよいかもしれません。仏教においては悟りの境地とそれを目指す修行者にあたるのでしょうか。それでも「修行者」ですからやはり厳しさは残りますね。こんな平穏のイメージはどうでしょう。夜の夕がたの街並みを丘の上から眺めている状態を想像してみましょう。ところどころの家庭に灯りがつき始め、夕食、入浴、就寝の営みに人々がつこうとしている、それを眺めて自分も今日は無事に一日が終わったとなとホッとする(昔なら、家々の煙突から煙が立ちのぼっていたことでしょう)。私達が生きている世界は「資本主義」とも言われています。富や便利を求めることが大前提の世界です。富は拡大(成長ともいいます)しなければならず、各個人もそれについていかなければいけません。ついていかないと自分は相対的に不幸になってしまう。本当にそうなのかはわかりませんが、皆、そのように信じて行動しているように見えます。そこでおきた今回の「コロナ禍」。まるで私達が求めてきた「富」が少しずつ削り取られていくようなことになっています。しかし、心の「平穏」は富とは別のところにあるような気がします。明日食べていくのにも困るという状況でそんなことを言われても何を呑気なことを、と思われるかもしれませんが、本当の心の平穏は豊かさとは別のところどころか対極のところにあるのかもしれません。すくなくともそのような「幸せ」は誰もが目指すことはできると私は信じています。何が言いたい?と思われた方も多いでしょう。でもこれ以上、具体的な説明はしません。ご自身で考えるきっかけになりさえすれば十分だからです。参考図書は紹介させていただきます。

「幸福とは何か」 長谷川宏 著 中公新書、 「孤独を生き抜く哲学」 小川仁志 河出書房新社