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金崎内科医院

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院内報2023年2月1日号を掲載しました

本格的に寒くなってきました。子供の頃に祖母からあなたは2月生まれだから寒さに強いはず、と言われました。ご存じのようには私は人一倍寒がりですので何の根拠もない説であることが判明しています。しかし子供の頃はそうでもありませんでした。「子供はかぜの子」といわれていますよね。真冬でも半ズボンを履いていました。太もものあたりがカサカサになって、おしっこがかかるとちょっとしみるなんて経験は男子ならあるのではないでしょうか。そもそも寒がりなら東北地方にある大学を選ぶことはなかったでしょう。大学を卒業したくらいから寒さに敏感になったような気がします。そしてちょうどその頃に祖母は亡くなりなりました。祖母に反論することはできませんでした。

<かぜ情報>

1月後半から発熱やかぜ症状で受診される患者様は減少傾向です。やはり新型コロナウイルスの陽性者も減ってきています。インフルエンザは少しずつ増えていましたが増え方が穏やかです。あるいは1月末の時点ではちょっと減ったような気がします。海外でインフルエンザの大規模な流行が起きていますし、このままでは終わらないと覚悟してはいます。一方、ウイスル性胃腸炎で受診される方は増えています。インフルエンザよりもむしろ多いくらいです。

<発熱外来の場所と時間の変更について>

1月中旬から発熱外来の体制を大幅に変更しました。まず、駐車場奥の仮設診療棟で検査などを実施します。また発熱外来の時間を午前は11:30~12:00、午後は16:00~16:30とさせていただき、その時間帯は他の診療は一時中断となります。発熱外来以外の通常診療希望の方はご留意くださいませ。
以前から申し上げていることですが、かぜ症状での受診予約はネット予約ではなく直接の電話予約をお願いいたします。ネット予約で来院されても、発熱外来枠が空いていない場合には改めて別の時間枠へのご案内をお願いすることがあります。

<糖尿病コーナー>

「糖尿病」という名前が変わるかもしれない、という話を聞いた方も多いと思います。やはり「糖尿病」にはどうしても負のイメージが付きまとい、偏見にもつながってしまう現状を何とか変えたいというのが目的です。最近ではこのような糖尿病に対する負の烙印を「スティグマ」と呼びます。スティグマがあると糖尿病があることによって不当な扱いを受け、本人も糖尿病であることを隠したり、治療を受けることをためらってしまったりしてしまい兼ねません。糖尿病を放置するのは決して本人にとっても社会にとってもよくないのは明らかです。糖尿病という名前を変えることによって良い方向にイメージが変わることは確かに期待されます。ところでどんな名前になるのでしょうか。個人的にいろいろ考えてみました。まず、「尿」の文字はなくなると思います。尿に糖がでてしまうのはあくまでも血液中の糖が高い結果です。ですから病態をより正確に表すには「高血糖病」の方が適切です。この「高血糖病」という言い方はこれまでもたびたび講演会や糖尿病教室で私は取りあげてきました。しかし、これもどうも目新しさがありません。ここは他の疾患でうまく定着した新しい呼び名を参考にしたいと思います。例えば「認知症」です。かつでは「痴呆」と呼ばれていたものでしたが改名が成功したと言っていいでしょう。認知機能の障害、として専門的かつ医学的に病態を説明しつつ、個人の負のイメージをもたせない呼び名になっていると思います。「病」よりも「症」の方がイメージもソフトになるでしょうか。そこでここは「症」の文字を採用しましょう。あとは病態の説明です。血糖を下げることに障害があるということでより適切な単語を探しましょう。血糖を下げるのは言い換えると糖の「代謝」となります。代謝は英語でメタボリズムです。そうですあのメタボです。すでに人口に膾炙したメタボをそのまま使うと混乱するのでここは日本語のまま「代謝」としてみます。すると「糖代謝不全症」となるでしょうか。不全をいれなくても症だけで伝わるかもしれない。出来ました、「糖代謝症」です。うーん、ちょっと微妙ですね。こことは思い切ってまた名前を長くし「不全」よりマイルドな「失調」を採用して、「糖代謝失調症」あるいは「症」を省いて「糖代謝失調」あたりになりますでしょうか。今のところは思いつくのはここまでですね。引き続き考えてみたいと思います。

<院長の日記>

昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はとても面白かったです。三谷幸喜が脚本を書いたこれまでの2つの大河ドラマ「新選組」と「真田丸」も面白かったですが今回はさらに楽しめました。今回は御家人同士の殺し合いが多いので陰惨なものになってしまいそうなところですが、エンターテインメントとしてもとても良くできていました。長年の「大河ドラマウオッチャー」としても勝手に最高評価としたいところです。ところで、北条義時はそれほどよく知られた人物ではないように思えます。父の北条時政、姉の北条政子、そして主君の源頼朝は歴史の教科書には出てきますが、北条義時については承久の乱のときに後鳥羽上皇が討伐の院宣で名指しをされた人物として記述されているくらいではないでしょうか。 ここで話をいったん変えます。明治時代の歴史教育において「日本史上最大の逆賊」とされた人物をご存じでしょうか。足利尊氏です。なぜ逆賊か。明治時代では天皇親政を再び目指した後醍醐天皇の時代が理想とされました。その建武の新政を潰したのが足利尊氏であり、だから逆賊というわけです。最後まで後醍醐天皇に仕え尊氏に敗れた楠木正成は最大の忠臣とされました。しかし、後醍醐天皇は新政(あるいは親政)を「取り戻す」ことを目指しました。取り戻すということは、それは奪われたものであるはずです。そのきっかけになったのが承久の乱ということになります。とすれば、承久の乱に勝利した北条家、そのときの執権北条義時の方こそ明治時代の思想からすれば最大の逆賊になりそうです。ドラマの中でも義時が朝廷に力で歯向かう自分こそ最大の悪人として後世に語りつがれるのではないか、といった内容の発言をしています(このあたりをしっかり描いている三谷幸喜はさすがですね)。承久の乱の後の朝廷に対する処置は当時の人々にとっては予想外なほど苛烈でした。後鳥羽上皇を含めた3人の上皇を島流しにし、朝廷側の公家や武家は徹底的に処罰し、朝廷を監視する機関を作りました。六波羅探題です。もともと東国の武士は自主独立を求めながら、一方で朝廷の権威には案外弱く、官位をもらうと大喜びするようなところもあったようです。ですからその朝廷に武力で立ち向かうということは当時の発想としては極めて突飛な発想でしかも徹底的な事後処置までやってのけたのはそれこそ革命に近いくらいの大きな出来事だったと思います。ちなみにこのような東国の武士の気質をよく知っていたのが源頼朝や大江広元ら幕府の文官たちでした。ドラマでも大江広元が躊躇する義時や泰時に一刻も早く京都に早く攻め上るようにと勧めていました。今回の大河ドラマはエンターテイメントだけでなくこうした歴史のディテールもよく描いていました。