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金崎内科医院

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院内報2021年10月1日号を掲載しました

オリンピックとパラリンピックが終わったころには、ちょっとほっとしたような雰囲気になっているのではないか、と7月に書きました。なかなか大変な時期もありましが、どうにかその通りになってきた感じです。でも、上がったものは必ず下がるし下がったものは必ず上がるとも書いてしまいました。悪い方になったときのために備えておくのは大切です。でもさすがに1年半たってわかったことがあります。このパンデミックについてはこの先どうなるかは誰もわからない、ということです。

<かぜ情報>

7月、8月にくらべると、発熱やかぜ症状で受診される方は減ってきました。新型コロナウイルスの拡大もありましたが、今年の夏は小児の風邪症状での受診がとても多いという異常な事態となっていました。RSウイルスの感染が多かったようです。新型コロナウイルスの感染拡大が始まって以降、小児も風邪をひかなくなり、これもかえって不気味でしたが、その反動かもしれませんが免疫がついていなかった分、今になってRSウイルスが広がったのかもしれません。そうであるなら日常に戻ってきているのかもしれません。今後寒くなるにつれてインフルエンザやノロウイルスが流行するようになるのか、これも誰もわからないと思います。

<伊奈町特定検診の開始のお知らせ>

7月から毎年恒例の伊奈町の特定検診が始まっています。伊奈町在住の国民健康保険証か後期高齢者証をお持ちの方が対象です(オプション検査となっている胸部レントゲンや大腸がん検診:便潜血などは社会保険に加入の方でも受けられます)。今年は11月末までです。昨年ほどではありませんがそれでも以前よりは期間は長めです。それでもあと2か月になりました。早めの予約をおすすめします。

<糖尿病コーナー>

運動不足の方にアドバイスの一つとして歩くことをお勧めすることがあります。しかし、季節によってはなかなか実践出来ない時もあります。雨が多く降る時期、真夏で熱中症の危険性が高い時期、真冬で寒さのあまり外に出るのも億劫になる時期、そして新型コロナウイルスの感染拡大で屋外に出るのもためらわれる方もいらしたと思います(実際には屋外は密になることが想定されにくいので気にしなくてもいいはずです)。しかし、今は一年で最も歩くのにふさわしい時期です。スポーツの秋ともいいますし、体育の日も秋(今年はオリンピックのスケジュールのために秋の体育の日はなくなりましたが)、運動会もこの時期に多く開催されます。
私もいつもただ歩くように言ってばかりなのもどうかと思いまして、実際にクリニック周辺を自分で歩いてみて、散歩コースを作ってみました。2コース作りました。いずれも内宿駅を出発としています。一つは、県活の横を通り過ぎて、ジョギングロードを通って伊奈学園をぐるっと回ってバラ公園に行き、内宿駅に戻ってくるコースです。私の足でゆっくり歩いて75分かかり、8500歩でした。もう一つはバラ公園にまず向かい、伊奈学園の手前の道路から県活の前を通りすぎて工業団地の方に向かいます。ローソンのところの交差点を左に曲がり恒電社の前を通ってなつつばき公園という小さな公園を通って、新幹線下の側道を通って、当院裏から内宿駅に戻ってきます。こちらのコースは60分かかり、6000歩でした。このようにかかる時間や歩数を事前に調べておいていくつかの散歩コースを用意しておくとその日の体調や使える時間によって使い分けられてとても便利だと思います。また散歩コースを複数もつことで飽きにくくなることも期待できるのではないでしょうか。実は私も今回まではあまりクリニックに周辺を自分の足で歩いたことはなく、歩きながらいろいろな発見が出来て面白かったです。どうしてここに道路が通ったのか、この施設はどうしてここに建てられたのか、川や田畑の位置、住宅地の多い場所、これまでの町の成り立ちと地形との関係など考えさせられます。まさに「ブラタモリ」です。歩くといろいろな考えやアイデアが思いついたりもします。有名な芸術家や哲学者のなかには思索ために歩いた人がいました(前者で有名なのがベートーヴェン、後者はカント)。ヘッドホンで好きな音楽を聴きながらでもいいと思います(周囲の車の音が聞こえなくなるので注意はしましょう)。幸いにして伊奈町の北部地域は道路も広く、歩道も完備しているので恵まれた環境だと思います。とにかく今がチャンスの時期です。是非歩いてみてください(ご紹介した散歩コースは院内に掲示してあります)。

<院長の日記>

こどもは無邪気で大人からすれば悩みも少なく単純なように見えますが、自分が子供だったときの事を思い出してみましょう。決してはそうではなかったと思います。子供なりにつらいことや悩みはあったことを皆さん十分覚えていることでしょう。大人になってからはそのことを忘れてしまい、やはり子供は無邪気なものだと思ってしまうのかもしれません。私にもいろいろありました。自分の内面、あるいは自我といったものを自覚する、つまり自分の行動や気持ちを客観的な視点で意識するようになったのは小学校に入って以降だと思います。というのも小学生の頃に自分は6歳ころから自分とは何かと意識するようになったなと気付いたことを覚えています。もちろん大人ほどは冷静でより分析的な内省はできていなかったとは思います。さて、そんな私ですが、時折奇妙な感覚にとらわれることがありました。自分以外はすべてがつながっていて、つまりグルになっていて自分だけがそれを知らされずみんなから監視をされているのでは?という感覚です。親も友達も道を歩いている見ず知らずの人も、外国の人も、です。ひょっとしたらみんな宇宙からやってきて自分だけ違ってずっと地球にいるかも、とすら思うこともあります。そんなはずはないとも思うのですが、それを証明する手段は決してないということに気づいて絶望的な気持ちになってしまうのです。実際はほんの一瞬で終わってしまうような感覚で日常生活に支障をきたすようなことは決してありません。人にいうほどのことでもないと思いました。成長するに従い、そのような感覚にとらわれる頻度は次第に減っていき、大人になってからはなくなりました。哲学的な観点からは、このようなすべてを疑うという視点はなかなか重要であり、むしろ人はこのような疑いをあえて持たないようにすることでなんとか生きているともいえるということを知りました。哲学の現象学的な用語でいうならばこれはすべての先入観を排除した「エポケー」「超越論的還元」といったものに近いともいえるかもしれません。しかし、私の感覚は突如として湧き出てくる感じでした。精神医学においてこれに近い感覚に「離人症」というものがあります。私の感覚とはちょっと違うかもしれませんが、突如として自分の外に飛び出してしまったかのような奇妙な感覚で、自分の見ている世界の現実感は大きく後退したようにも感じるとされています。離人症自体はさまざまな精神疾患や不安、ストレスなどの際に現れるとされていますが私の場合、神経系が未発達という背景で生じたのかもしれません。しかし、大人になるということは成長するだけではなく、自分にとって危険であったり不安になったりすることがないように事前に感覚を鈍らせるような作用でがんじがらめになることなのかもしれません。もうあのような感覚は来ないのかもしれませんが、自分で意識的、あるいは無意識的に心の安定を図る方法を知っている大人と違って子供の不安やストレスは別の次元のものがあるのかもしれません。