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金崎内科医院

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2018年10月1日号

さすがに気温が下がってきました。あまり寒いのは御免こうむりたいのですが、コーヒーがアイスではなくホットで飲めるようになってきたのはコーヒー好きの私にはありがたいです。台風がまだ多いようで、特に今年は災害が続いているので、なんとかこのまま無事に過ぎて欲しいと思うこの頃です。

 

<かぜ情報>

気温の低下とともに風邪で受診される方が確実に増えています。

いまのところ特定の感染症の流行はありませんが、暑い夏で体力が落ちると秋以降に風邪にかかりやすいのではないかと懸念しています。衣服、掛布団、寝間着、など早めに涼しさ、寒さ対策で変えていきましょう。

 

<糖尿病コーナー>

今年は夏があまりにも暑かったので外にも出られず、体を動かすことが少なくなってしまったと実感される方が多いのではないでしょうか。やっと涼しくなってきたので今度は寒くなる前に体を動かしておきたいものです。前回は簡単な筋トレ(レジスタンス運動)と有酸素運動について書いてみました。運動とは言いにくのですが今回はストレッチについてご紹介してみたいと思います。ストレッチという横文字をうまくあてはまる日本語は思いつかないのですが、ストレッチという言葉自体多く聞かれるようになったのでおおよそイメージがわくと思います。固くなった関節や筋肉を伸ばしてほぐす体操のような?ものです。あのラジオ体操もややそれに近いのですが、もっと時間をかけて、あのような曲げ伸ばしを繰り返せずに呼吸とともにゆっくりと目的の部位を伸ばしていくようにします。詳細は本やネットを参考して欲しいのですが、とても大切なものなので是非お勧めしたいです。年齢とともに体の筋肉や関節はどうしても固くなってしまい、それとともに余計に体を動かすのが億劫になるとともに、腰痛などあちこちの関節の痛みの原因にもなります。また、怪我もしやすくなります。昔から運動の前に「体操」をするように奨励されていたのでお分かりでしょう。私も今の仕事は座りっぱなしで動ないことが多く、一時は腰痛がひどくなりました。腰痛があると余計体が硬くなり、さらに他の場所も痛くなるとともに体を動かすのが減って太り易くなってしまったのを実感しました。そこで数年前から毎朝ストレッチをしています。おかげで最近は腰痛もだいぶ軽減し、体が柔らかくなったのを実感しています。腰痛がひどいときは、足を伸ばして上体を前に倒しても手が地面に着くどころか膝の高さのあたりまでしか届きませんでした。ところが、今はもう少しで地面に着くかつかないかのところまで来ています。年齢を重ねてもストレッチをすることによって体は柔らかくなるのです。ちなみに上体が前により倒せるようにするには腰の筋肉ではなく、ハムストリングといって太ももの裏の筋肉や股関節のあたりの筋肉を伸ばすストレッチをすると効果が上がるようです。もっとあちこちの筋肉をやわらかくすることによってさまざまな効果が期待できるようです。かなり上級テクニックですが、体幹の筋肉をやわらかくすると呼吸が深くなってからだがよりリラックスできるようになるばかりか身のこなしが全体的にスムーズになるようです。体が柔らかくなると、筋トレや有酸素運動の効果もさらに高まってより痩せやすい(太りにくい)体になるようです。ストレッチのコツはゆっくりやること、体が痛いか気持ちいいかぎりぎりのところまで伸ばしてみること(決して無理しない程度に)、呼吸を停めないでゆっくり吸ったり吐いたりすることなどです。どうですか?ストレッチが魅力的に感じてきたのではないでしょうか。先ほど、外で運動できるのにいい季節になってきた、といった感じに書きましたが、ストレッチは自宅でできます。是非お勧めです。私などはストレッチをしないとなんとなく体が硬く重く感じてしまうので完全に毎日の習慣となってしまいました。

 

<院長の日記>

今回は歴史の話です(もはや「日記」ではない?)。史実ではないと思われながらも伝説として語り継がれるものがあります。源義経は、実は平泉で死んでおらず、中国大陸に渡ってチンギス=ハンになった、明智光秀は山崎の戦いでは死なずに生き残り、天海僧正になって家康のブレーンとなって長生きした、そもそも本能寺の変は家康の陰謀であった、などなど。話としては面白いですね。私は西洋史も好きですが、ここにテンプル騎士団なるものをご紹介しましょう。案外ご存じの方も多いかもしれませんが、かいつまんで説明させていただきます。中世のヨーロッパではかつてはキリスト教の聖地だったにも関わらずイスラム教徒に占領されてしまっている地域がありました。エルサレムとその周辺地域です。ここをキリスト教徒の手に取り戻そうという機運からやがて戦争を起こし、一時的にキリスト教国家を無理やり作ったことがあります。いわゆる十字軍です。現地にいたイスラム教徒たちにとってはたまったものではありませんが、このときキリスト教側の戦争を支援する目的でいくつかの騎士団が作られました。テンプル騎士団もその一つです。キリスト教に命を奉げて戦争を行う超国家的集団で、聖職者(正確には修道士)でありながら戦士(騎士)でもあったのです。当時の十字軍熱気運はすさまじく、多くの寄進や寄付を受けて次第に力をつけていき、また、命を惜しまず戦闘を行うため実際にかなり強かったそうです。そもそも「騎士団」という呼び名からしてカッコいいですよね。テンプル騎士団は聖地に赴く巡礼者の輸送や警護も行い、十字軍の時代には大活躍しました。しかし約150年続いた十字軍も結局は誇大妄想で終わってしまい、テンプル騎士団の本来の活躍の場はなくなってしまいました。しかしその強大な超国家的組織は存続し、豊な財力で銀行業や農業、さらに各地の私的な戦闘に介入するなど影響力は保持し続けました。しかし、むしろやりすぎて嫉妬の対象となってきたころに本部のあるパリで突然フランス王に襲撃され、幹部の処刑、あえなく組織の解散となってしまいました。歴史から消えたわけですが、ここから様々な伝説が生まれます。有名なのがフリーメーソンになって生まれ変わったというものです(もちろん史実ではありません)。最近ではハリウッド映画にもなったダヴィンチ・コードにも伝説がでてきます。枚挙にいとまがありません。華々しい活躍と悲劇的な最期という点では伝説のネタになる要素があったようです。テンプル騎士団のポルトガル支部はキリスト騎士団と名を変えて存続しました。余談というかこれは史実ですが、世界史の教科書に出てくる、エンリケ航海王子自身やバスコ・ダ・ガマの航海時の船長はキリスト騎士団の騎士でもあり、コロンブスの義父はその総長だったそうです。さらに余談ですが、テンプル騎士団とは別の騎士団であるチュートン騎士団は十字軍のあと、いまだ異教徒の地であったプロイセンに入植し、のちのプロイセン王国につながる礎を作ります。そもそも「ドイツ」は「チュートン」の訛りだそうです。ここまでくると聖ヨハネ騎士団についても紹介したくなりますが長くなるのでこの辺で止めておきます。最近歴史ものの話では結構反響をいただくので今後も時々書かせていただきます。